笛吹きたち会員

合宿2003年の記録

テーマ「海の日は山の中の湖で」

山中湖


2003年7月19日(土)~7月21日(月・祝)
みんな海に行ってしまったのかな?
20日の早朝チラッと
ペンション3361*BLACK(中央の建物)
山鳥の鳴き声の中、可憐な・・・


参加者の面々

「それでは手をあわせてください」と毎回食事前に強要した幹事長・中村青年

 
 
水村英理さん・藤山沙保里さん
青野順子さん(幹事)・亀田守さん(ヤマハ)
久富雅子さん・廣田靖子さん
上野京子さん・米嶋光敏さん
植竹里奈さん・河野洋子さん(幹事)
高倉直子さん・藤崎孝美さん(幹事)
滝川春奈さん・深澤晶子さん
沙保里ちゃん・永見恵子先生
小野宏子さん・沙保里ちゃん

コンパ

今年のコンパ係り、久富、植竹、中村、水村の各氏

ゲームその1:都道府県名を5×5計25のマスにビンゴ形式で各グループ書き込んでもらいグループ1から順に自分たちの書いた県を一つずつ読み上げ、該当する枠を消し早くビンゴになった順に負けというルール。

ゲームその2:各グループのそれぞれに1~4の順位を決め、各グループの1の人が4人、前に出て幹事からお題をもらいそれを絵に描いて自分のグループに持ち帰り残った人に内容を当ててもらうということを4回行い正解率の高いグループが勝ちというルール

お題は1:スワンボート、2:石原先生、3:チワワ、4:あと何だっけ?

 

賞品授与式

第1位グループ
第2位グループ
 
第3位グループ
第4位グループ

アンサンブル・コンサート



花火

いい感じ 何年ぶりの花火? 花火は線香花火に限る

合宿レクチャー

テーマ:標題音楽

そもそも表題音楽とは・・
これは豚の鳴き声ではありません
ナデナデするとイメージが湧きます
ニセ「妖精の王」を真剣に聴き入る


今年のテーマは「標題音楽」。2時間の中で標題音楽の概念、歴史をCDを聴きながら解説。
演者には予定の2時間を過ぎたら1分100円の罰金が科せられました。


第1部:標題音楽の定義、条件

第2部:手法(音画)

●TESTその1、自然界の音を10種類聴いて当てて下さい。


第3部:音画の例
鳥:3曲
嵐:5曲

第4部:標題音楽の歴史
バロック時代の標題音楽

第5部:CDを聴きながら交響詩のあらすじを追う
ドヴォルザーク作曲 交響詩(2曲)
1.「妖精の王」(1896作曲)
2.「真昼の魔女」(1896~97作曲)

第6部:標題音楽を聴いて各自のイメージのアンケート

●TESTその2、次の曲を聴いて何をイメージしますか?

有名な曲3曲

第7部:レクチャーの中で聴いた曲の中から抜粋で何の曲か答えて頂く

●TESTその3、次の曲の作曲家と曲名を答えてください。(10曲を短縮版で)


第8部:本日のレクチャーの感想

■標題音楽(program music)とは
 標題のある器楽曲のこと、標題のない器楽曲(絶対音楽)に対して用いられる。オペラや声楽曲は普通標題音楽に含めないが、標題に掲げた内容を何らかの器楽的手段で表現しようとする場合、器楽伴奏にはそのような手法を用いることが多い。楽曲の形式を表す言葉(ソナタ、舞曲など)は標題音楽の題材には含まない。

■標題音楽の条件
 標題として掲げられた題材を音楽によって表現するもの。題材には絵画的な情景や文学的もしくは劇的な内容のものを伴う。

■標題音楽の手法
 題材の標題音楽的処理は概して描写的と表出的の2つの手法がある。
 1)最も単純な標題音楽は音画と云われる描写曲である。これは物音や事物の動きを器楽によって端的に描写しようとするもの。
 2)それに対するものは感情表出性を基礎とする標題音楽。内面の描写はしばしば感情表出に近づく。

TESTその1、次の音は何でしょう。10種類あります。
 答え:1)波、2)雷、3)虫の声、4)セミ、5)猫、6)犬、7)象、8)ひよこ、9)すずめ、10)カッコウ

続けて鳥の例に移行
★Beethoven 交響曲第6番「田園」第2楽章より(1808)[絵画よりはむしろ感情の表出]
★Rossini ウイリアム・テル序曲より 第3部「静けさ」
★Saint-Saense 動物の謝肉祭より「鳥かご」

嵐の例
★Vivaldi 「四季」より夏
★Beethoven 交響曲第6番「田園」第4楽章より
★Rossini ウイリアム・テル序曲より 第2部「嵐」
★Wagner さまよえるオランダ人序曲より「海の嵐の情景」
★R.Strauss アルプス交響曲より「嵐の前の静けさ&雷雨と嵐」

■標題音楽の根拠
 音楽が音楽以外のものと連携しうる根拠は、感覚、感情、想像、思想間の親和性による。

■標題音楽の歴史
 音楽で具体的な事柄を表そうという試みはギリシャ時代から行われている。中世では歌詞を伴う声楽曲が中心であった。バロック時代にはいると鍵盤楽器の音楽に表題が付けられるものが見られる。

バロック時代
★J.Kuhnau 聖書ソナタ・第6番(1700年作曲)→参考資料参照(3頁)
第1楽章 ヤコブの息子達の悲嘆
第4楽章 エジプトからカナーンへの長い旅
第5楽章 遺族達の慰め
★J.S.Bach 最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ(1703年作曲)→参考資料参照(3頁)
第1曲 アリオーソ
第3曲 アダージッシモ「友人たちの皆の嘆き」
第5曲 御者のアリア
第6曲 御者のラッパを真似たフーガ(最初のみ)
★Rameau 鳥のさえずり
★Couperin おしゃべり女
★Boismortier 蚤(ロンドー)

クラシック時代 絶対音楽が中心
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、クーラウ、ブラームスらには標題音楽が少ない。
ベートーヴェンの田園交響曲は特異な存在
■絶対音楽(absolute music)とは
1.消極的な意味
 詩的、絵画的な表象やテキストと関係を持たない音楽
2.積極的な意味
 音楽以外のものと無関係に、固有の法則性に立脚する自立的な音楽
ロマン派時代 文学と音楽の結びつきが強まる。音楽に感情表出が強調される。交響詩が生まれる。
ベルリオーズ、シューマン、メンデルスゾーン、リスト、スメタナ、ドヴォルザーク、グリークなどなど

近代現代
ドビュッシー、ラヴェル、サティ、レスピーギ、スクリヤビン、ストラヴィンスキーなどなど

ドヴォルザーク作曲 交響詩(2曲)
古くから伝わるチェコの民話(エルベン編)を基にした交響詩
1.「妖精の王」(1896作曲)
あらすじ
01. のどかな牧場で村人たちが集い踊っている。
02. かたわらで美しい一人の娘が物思いに沈んでいる。
03. そこに旅人の一人の若者が通りかかる。魔法の修行しながら諸国を漫遊しているのだ。娘に何故悲しんでいるかを尋ねる。娘はその訳を説明する。
・・・この地方に住む妖精の王は村人から恐れられている。妖精の王は美しい若い娘が大好きで満月の夜に村一番のべっぴんを捧げものとして要求している。命令に従わないと恐ろしい禍わざわいが村人たちに降りかかるのだ。妖精の王の活力の源は月の光。月の光が消えると力が尽きてしまう。夜中の12時を過ぎると妖精の王は住みかに戻る。今夜は満月。その娘が今晩の捧げものとして選ばれたのだ・・
04. 再び村人たちの踊り。
05. 若者は娘を助けることを誓う。
06. 日が沈みあたりが暗くなり月が丘の上に昇り始める。
07. 妖精の王が現れる。娘に近づく。娘は気絶する。
08. 若者は魔法の力で雲を呼ぶ。月の光を隠そうとして。
09. 妖精の王は雲を払いのけようと嵐を呼び若者との力比べ。
10. 教会の鐘が真夜中の12時を告げる。
11. 妖精の王は力つきて消えてしまう。
12. 娘は気絶から目を覚ます。
13. 娘の足下にはボロボロになった箒が一本横たわっていた。

2.「真昼の魔女」(1896~97作曲)
 家事に追われる母親はそばで楽しく遊んでいた子供が、それにあきてむずかり出し、母は初めはやさしく叱るけれど、だんだん語気が荒くなる。そして、真昼の魔女を呼ぶと子供をおどす。子供はいったんおとなしくなるが、またしても泣きわめくので、母はその子をきびしく叱りつける。とそこに、小さな茶色の魔女が現れて、子供をもらっていくと言って不気味な踊りを始める。母親は魔女に憐れみを乞うが、聞き入れてくれない。その時正午の教会の鐘が鳴り、魔女は姿を消して、安心した母親は子供を抱きかかえたまま失神してしまう。夕方、夫が帰宅して、彼女は意識を取り戻すが、子供はすでに死去していた。

 種明かし:上記の交響詩、ドヴォルザーク作曲「妖精の王」(1896作曲)は実在しない作品、実は実際に聴いた音楽は2番目の「真昼の魔女」(1896~97作曲)でした。受講者は曲の進行中、演者の示す番号によってその場面を頭の中で想像して聴いたのです。演者の創作した物語はやや無理があったかも知れませんがそれなりにイメージを膨らませました。種明かしにより、ゲラゲラ笑った人、ポカンとしていた人、どうもうそっぽいと思った人、様々でしたが「音楽は概念を具体的に表し得ない」ということが分かったようです。

TESTその2、次の曲を聴いて何をイメージしますか。(作曲者、曲名は伝えず)

★ドビュッシー作曲 海(第2楽章、波のたわむれ)(標題と曲との間に微妙は詩的照応関係があり、単純な音画的模倣の域を脱す)
 答え:☆魔王、☆海での嵐、☆だんだん空が曇っていって落雷、☆戦いの前の静けさ、☆雷鳴・あるいは不吉な何か・Trpのファンファーレはそれらの予告でもある、☆不吉な物事の前ぶれ・登場、恐怖、悪魔との戦い、☆360度大パノラマの大地の時間の移り変わり、☆風の強い暗闇の森の中をさまよっている白馬の騎士、☆喜び・不安・悲しみなどの情景がはっきり分かる・物語っている・バレー音楽っぽい、☆悪魔、☆ひとつの大きな力によって引き離れようとする時間、☆不安・恐怖・襲われる様など、☆不安な心、☆大嵐の中を航海する船、

★オネゲル 作曲 パシフィック231(蒸気機関車)
 答え:☆戦いに出る騎士、☆(おばけの)行進、☆敵の軍隊が城のまわりに集まってきている、☆夜の森の中に入っていく時・ワクワクしたような・反面おそろしいような足取り、☆暗い宿命のようなものか・魔物のアジトのようでもある、☆不安・アンバランス・奇妙・混乱、☆悪い予感、☆真夜中に忍び込む兵士、☆大自然の不安、☆映画モダンタイムズのように工場の歯車の中・働いている、☆怖い感じ・自然界の恐怖、☆やみ夜、☆行き先の分からない列車が不気味に走り出すところ、☆予感的はじまり・暗い会話(2人の人物による)・怖い、☆きもだめし、☆奥深いジャングルを進む軍隊、

★ベルリオーズ作曲 幻想交響曲(第4楽章、野の情景)

 答え:☆夕暮れ、対話、☆森の奥に人が迷い込んだ、☆失恋して泣き明かした翌朝のけだるい様子、☆朝っぽい・スイスぽい・澄んだ空気と消えた湖水のような・静けさ・おだやかさ・それらの中でたたずむ、☆孤独・寂しさ・喪失、☆静、☆不安にかられながら相談事をしている・だんだん不安がなくなり晴れやかな日が来た、☆新しい命の始まり、☆静かな朝・出発の時・平原の中をゆっくり馬に乗っていく様子、☆山の風景・牧歌風ぽい・牧場・大草原・山の一日・壮大な感じがする、☆朝の始まり、☆湖のそばで少女と鳥が話している・村の中で鳥と話せる唯一の少女である、☆つのぶえの山にこだまする・山小屋とやぎ(ひつじでも可)と主人・のどかな山の風景、☆南アルプスの大自然、☆天国で目覚めた朝、

 演者解説:様々な解答があり、いかに音楽が具体的なことを表すことが難しい芸術であるかが分かるが、それぞれの曲に似通ったイメージの傾向があることは興味深い。

 19cは標題音楽が盛んな時代。ロマン主義的風潮から総合性が追求され、美術的、文学的、劇的な表現を求める傾向が顕著。17~18cの標題音楽が外界を客観的に描写する傾向が強いのに対し、19cは内面を表出する主観的、幻想的なものが多くなる。描写性とともに感情表出性に重点をおく傾向はベートーヴェンの田園と同じ。代表者:リスト、シューマン、ベルリオーズこの流れを20cまで発展させたのがR.シュトラウス。19~20cの新気風の標題音楽としてドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ラヴェル、水のたわむれ、など印象主義的なものが生まれた。

 20cになるとR.シュトラウスの諸作品をはじめ、レスピーギの「ローマの松」、シベリウスの交響詩、ホルストの「惑星」など19cの伝統に従って標題音楽が作られた。しかし概して音楽独自の構成意識が強くなり、標題をつけるにしても、ロマン主義や印象主義におけるような曲と標題との一体感を目指すものでなく、むしろ一種の象徴的な名称としての標題が機能する傾向が強くなった。ストラヴィンスキーの「春の祭典」、オネゲルの「パシフィック231」、ヒンデミットの「画家マチス」、ペンデレッキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」など20cになってからの標題音楽の例としてあげられる。

●TESTその3、次の曲の作曲家と作品名を書いてください。このレクチャーで聴いたものばかりです。(ただし作曲者がないものが1つ、このレクチャーで登場しなかった曲が1曲あります)

設問
1)ボワモルティエ、蚤
2)サン・サーンス、「動物の謝肉祭」鳥かご
3)ベートーヴェン、交響曲「田園」嵐の情景
4)バッハ、「最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ」御者のアリア
5)ヴィヴァルディ、「四季」より夏、嵐
6)象の鳴き声
7)ラモー、鳥のさえずり
8)スメタナ、モルダウ
9)ドビュッシー、交響詩「海」波のたわむれ
10)ワーグナー、さまよえるオランダ人序曲

 演者解説:正解率は約60%、全問正解者は皆無でした。


参考資料
★クーナウ作曲 聖書ソナタ『ヤコブの死と埋葬』
 聖書ソナタは、ライプツィッヒの聖トーマス教会のカントルとしてバッハの前任者であり、音楽以外の分野でも個性的な才能にめぐまれていたクーナウが1700年に作曲した、彼最後の鍵盤作品である。彼はチェンバロのみのための音楽に初めて「ソナタ」という用語を用いた。この作品は、旧約聖書の物語を音楽的に描写したものである。この6番目のソナタは5つの楽章を持っている。4/4拍子ヤコブの息子たちの悲嘆は、彼の父親としての祝福3/4拍子のパッセージによって軽減される。彼らは父の死の重さを主題が連続して上昇する4声のフーガの中で回想する。彼を葬るためエジプトからカナーンへの長い旅は、間断なくとぼとぼ歩く8分音符の低音と、右手での掛留によって暗示される。ソナタは遺族たちの慰めの気分を表した平静に流れる3拍子の楽章で結ばれる。

 ★バッハ作曲 『最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ』
1703年、バッハより3歳年長の兄、ヨハン・ヤーコプは、スエーデン王カール12世の近衛隊のオーボエ奏者に採用された。当時、未だ21歳であったヨハン・ヤーコプは、家族のいる祖国からひとり離れ、軍人としての生活を選んだのであった。
 この作品は、バッハがヨハン・ヤーコプの旅立ちの贈り物として、作曲したものであろう。それぞれの曲は表題を持っており、バッハ一族と友人たちが別れを惜しんでいるいる様子が、象徴的に表現されている。
 このような表題の付いた作品は、バッハの作品として非常に珍しいものであるが、これは、ヨハン・クーナウが1700年に出版した『聖書ソナタ』からの影響に他ならない。バッハは、愛する兄の出征という身近な出来事を音楽にしたのである。
第1曲:アリオーソ「旅を思い留まらせようとする友人たちの甘い言葉」
 友人たちが口をそろえて、出征するのをやめるよう一心に嘆願する様子が、平行6度の音型の反復に表現されているようだ。
第2曲:「異郷の地で起こり得るさまざまな出来事へのいましめ」
 不安げな主題で始まり、異郷で降りかかるかもしれない危険を、転調を重ねることによって描いている。
第3曲:アダージッシモ「友人たち皆の嘆き」
 この曲はバロック時代の作曲家たちが、嘆きを表現するのに必ず用いた半音階的下行進行によって仕上げられている第4曲:「友人たちは事態がどうにもならないと知り、別れを告げにやって来る」
 もうテコでも動かないヨハン・ヤーコプの決意に対して、友人たちはなすすべもない。ただ、成功を祈るだけである。
第5曲:「御者のアリア」
御者が吹き鳴らすラッパの音を、オクターヴの跳躍で表現した、陽気でおどけた曲。
第6曲:「御者のラッパを真似たフーガ」
ラッパの音にせき立てられて、ついに出発である。


標題音楽についてレクチャー後に書いていただいた感想文

☆標題音楽は聴く人の感性、状況により受けとり方が異なるものだなあと思った。舞台などのBackmusicとしてはいいかもしれないが、音楽だけでは情景を通じるのは難しいと感じた。

☆先程、標題音楽より絶対音楽の方が素晴らしいという話がありましたが、私はそう思いません。標題音楽も絶対音楽も両方良い面があると思います。標題音楽というと、印象派以降の作曲家のイメージがあったのですが、バロックにも標題音楽があったのを聞いて大変勉強になりました。

☆標題音楽は題名を見てから聴くと、納得がいく理解ができて楽しいけれど、後から題名を聞くと自分の考えとぜんぜんちがってくやしいからいやです。どうせなら最後まで題名を聞きたくないです。テストはなんか赤点最下位のような気がします。

☆音楽も聞き流すのでなく、イメージを描きながら聴くことで世界がずっと広がるものだなあと思いました。言葉でなく音のひびきだけで表現できることが多いことにおどろきます。知らない曲に私が描いたイメージも何かが通じているはず。

☆(単純な)描写と内面の描写の違い、右図のような包含関係にあるのではないという点が、はじめはとらえづらかったが、レクチャーが進んでいくにつれ理解できました。ドヴォルザークの鑑賞は非常に面白かったです。「妖精の王」はまじめに追ってしまいました。Test2、皆の考えを聞けたのがとても興味深かったです。「イメージ」「明解がよいのか」考えさせられました。ありがとうございました。

☆音楽は感情があってはじめてできるものがほとんどなのではと思う。標題があっても無くても個人それぞれでその音楽への感じ方が異なるものだと思う。

☆先にお題を見て曲を聴くというのが一般的な順序ですが、今回は逆で、想像していくのが面白かったです。

☆標題のついた曲目はそのように理解できるが、標題を知らずに聴いた時その人の感じ方で想像するものが変わってくることもある。標題音楽とは絵画的、情景や文学的とはいってもその個人の感情が一番大きいものと思う。

☆作者もその時の感情、聴く方もその時の感情、標題がついていればそのように聴いてしまう。

☆標題音楽、絶対音楽という言葉すら知りませんでしたが、楽しかったです。ドヴォルザークの交響詩の2つの物語の比較からも、音楽は概念を表すことができるのかという論議ももっともと思いますが、音楽を素材として色々と想像するのは、頭の中の世界が拡がり楽しいものということを実感しました。

☆作曲家が死んでから付けられたタイトルの曲がたくさんあるが、作曲者はそれを意識して作ったのだろうか・・?自分の中のイメージと標題が結びつかないところがあってけっこうショックだった。「妖精の王」は05あたりから違和感を感じました。

☆皆さんイメージが面白かったです。今後「標題」について注意を払うようになると思います。

☆小学生の頃、音楽鑑賞の授業がとても嫌いだったことを今日のレクチャーで思い出しました。音楽を聴くのは好きだったけど、そのあとその曲が表現しているものを書かされて、それに点数がつくのがどうしても納得いかなかったという理由からです。決して「標題音楽」を否定するわけではありませんが、曲のもつ顔はたくさんあっていいし、いろいろな角度から見る人がいた方が曲でも物事でもおもしろいと思うのは今も変わらない考えです。今日のレクチャーは面白かったです。これから出会う曲もまたちがった角度から見ることができそうです。

☆私はやっぱり「標題音楽」というのは、初めに何かの事象を提示することでしか成り立たないと考えます。人の想像は無限大です。でも非難しているわけではありませんので。あと、「妖精の王」はとても不自然でした。途中からなんかおかしかったです。

☆絶対音楽でもやっぱ何かイメージがあって曲を作っていると思います。

☆難しいと思った。自分と作曲者とでは感性が違うと思った。

☆作曲家の意図がわかりやすい反面、人それぞれの感性で音楽を楽しんだり、想像することをさまたげることもあることがわかり興味深かったです。予定時間内にはまったのもスバラシイ!