笛吹きたち会員

笛吹きたち48号原稿 
(編集ミスによる不掲載)


 この度、48号の編集のミスによる不掲載になってしまった原稿です。作者の徳植さんには申し訳ないことをしました。毎号、少なからずミスが有り皆様にご迷惑をおかけしているので、今号こそはそのようなことがないように努めたのですがそれでも起こってしまいました。この原稿は2019.年1月30日に到着したものです。


平成幻夢ー再び魔界に落ちたある男の物語ー
                                                               徳植俊之

「この世にもし魔界というものが存在するとしたら、それは人の心の中にある。」
            ラフカディオ・バーン『怪談論ー幽霊譚分析の一助としてー』

 世の中には摩訶不思議な話というものがある。それを信じるか信じないかは読者にゆだねられている。とはいうものの、これからお話しすることは、語り手である私自身がいまだに信じられない出来事なのである。これを都会の暗闇に突如として現れた真実の世界と見るのか、それとも、人の心の中に住み着く猜疑心や欲望が生みだした幻夢と見るのか。それを決めるのは、読者であるあなたなのである。

  それは、ある日突然届いた一枚のはがきから始まった。そのはがきには、
「寒中御見舞 実は原稿催促」と大きく書かれ、続けて長々とした文章が書かれていた。差出人は、「石原利矩」と書かれている。私は、
「ははーん、先生もとうとう『笛吹きたち」の原稿催促のはがきまで、出したのか」と思い、そのままぽんと机の上に放り出した。が、どうも何か変な気がした。そのはがきは、何かおかしい。私はもう一度そのはがきを手に取って見返してみた。すると、「寒中御見舞 実は原稿催促」という見出しはそのままなのだが、それに続く文章はすっかり文字化けしているのだ。
「#$=%Wvへm¥¥i#µºんfaayåù£bだ"?%$$……」
 しかも差出人の名前をよく見ると、「石原利矩」ではなくて「右原利矩」となっている。住所表示も「東京都港区南青山字魔界9999 パエリア魔界999」となっている。
「右原って、だれだ?石原先生でないとすると、この原稿催促って何の原稿だ?」
 私は思わず身震いした。肌が粟立つというのはまさにこのことだ。私は気味悪くなり、このはがきをシュレッダーにかけた。するとシュレッダーからは灰色の煙が上がり、私は眠気を憶えた。「だれだ?右原って、原稿って何の原稿だ?」とつぶやきながら、私のい・し・き・は……。

 それから数日して、私はレッスンのために石原先生のレッスン室に向かった。あの気味悪いはがきのことも聞いてみたいと思っていた。外苑前のA4出口を出て青山通りに出ると、すぐ左手に伊藤忠ビルが聳えている。相変わらずここのビル風はきつい。私はコートの襟を立てて、横断歩道に向かった。ちょうど信号が青に変わったので、道路を渡り始めた。
 しかし、渡り初めてすぐに、いつも見る景色とはどこかが違うと感じた。この感覚は何だろうと思いながら、「あっ!」と思った。渡った先の右手のビルには数年前から「いまゐ」というそば屋が入っている。ところがその看板には「いまね」と書かれてあるのだ。
「いまね?そんな名前じゃあなかったはずだが……」と思いながら、二階に目を向けると、そこは「牛たん焼き 辺見」という店が入っているはずなのに、「午にん焼き 辺貝」となっている。
「おいおい、どうなっているんだ?」と思いながら、目を前に向けると、通りはいつの間にか下り坂になっている。
「えっ、ここは平坦な道だったじゃないか。どういうことだ?」そう思いながら何かに引き寄せられるかのように、私はその下り坂をどんどん下っていった。するとすべておかしいのだ。「ローソン」は「ロージン」に、「生そば やぶ」は「生ゆば やだ」に、「鈴木猛鱗花店」は「鈴木猛毒花店」に、「いとうや花店」は「ういやと化点」に、「アクセスホーム」は「アクセクホース」となっている。極めつきは消防署が結婚式場になっているのだ。しかも、その結婚式場の前にはおかしな看板がかけてあって、
  
二人のハートに火をつけて
  新生活は火の車
   くすぶる煙で先見えないっ!

と書いてある。
  もう私は後戻りできない心境になっていた。先に進まないではいられなくなっていたのだ。下り坂はまだまだ続いている。道路の両脇には、すすけた色に変色したビルが建ち並んでいる。そのビルはどれもムンクの「叫び」のようにゆがみ、なぜか「安藤家」「佐藤家」「高橋家」などと大きく書かれた表札が掲げられている。こんな街並みではなかったはずなのだが……。
 と、どこからかピアノの音が聞こえてくる。それは「エリーゼのために」だった。その音色は甘美なまでに美しく、もの悲しく、切なかった。私はその音のする方に向かって歩き出した。
 ピアノの音は通りの左方向から聞こえてくる。私は、次の十字路を左に曲がった。さらに歩いて行くと、また小さな十字路があり、その小路には木の電信柱が立っている。ピアノの音はその通りの先の方から聞こえてくる。もうその時には、私の意識の中にはそのピアノの音以外なかった。数メートル行くと、右手に小さな駄菓子屋があり、その店先でおかっぱ頭の女の子が手招きをしている。私はフラフラッとその女の子に近づいた。するとその子は、
「ねえねえおじさん、向こうからピアノの音が聞こえるわよね。ところでさあ、ピアノってどうしてピアノという名前になったの?」と聞くのだ。
「ええっと、それはね、元々はピアノフォルテという名前だったんだけど、それを省略してピアノと言うんだよ。」と答えた。
「ふうーん、省略するんならどうして、ピアフォルっとか言わないの?片方ならフォルテだけでもいいじゃない。ピアノだけ残すのって変じゃない?」
「ええっと、ええっと、それは……」
私が返答に詰まっていると、突然その子は顔を真っ赤にして、
「ボーッとしてんじゃないわよー」と怒鳴ったのだ。
 私はびっくりして、
「ごめんなさい!」と叫んで、走って逃げた。ところが、足がいつもより重たくて、一生懸命走るのに、全く進まない。女の子は相変わらず顔を真っ赤にして、頭からは湯気をたてている。私はあわてて脇道にそれて、女の子から逃れた。ハアハアと息が切れて苦しかったが、振り返ると女の子はいない。ホッとしていると、またあの「エリーゼのために」が聞こえてくる。その音は脇道の先から聞こえてくるのだ。
 私は、音のする方に向かって再び歩き出した。少し歩くと、その道は行き止まりになっていた。正面に小さな木造の一軒家があって、ピアノの音はその家から聞こえてくる。私は、その家の前まで行った。すると、表札には、
  
炉錬都雄
    その妻
   その娘

と書いてある。
「まてよ、『炉錬都雄』ってどこかで聞いたことのある名前だ、どこだったかな?」
 私は記憶をたどった。
「そうだ、いつか私をだました、キツネの炉錬都雄っていうのがいたな。」
 私はふと以前に、レッスン室の7階の部屋に誘い込まれ、幻術にかけられてお稲荷さんの社に閉じ込められたことを思い出した。(注『笛吹きたち』44参照)
「しかし、あのときはマンションの7階だったのに、ここは一軒家だぞ。うーん……。」
  それにしても、ピアノはさっきからずっと、冒頭の8小節を繰り返している。曲は「エリーゼのために」の冒頭部分をエンドレスに繰り返して、全く先に進まないのだ。おかしいと思っていると、突然玄関の戸が開いて、
「いや、久しぶりですなあ。以前にもお会いした炉錬都雄ですよ。覚えていますかな。」
と白髪の男性が現れた。やっぱりあのときの炉錬都雄だ!
 私は今度はだまされないぞと身構えながら、
「いやいや、あの節はすっかりやられました。ところで、引っ越しされたのですか?」と聞いた。
「私どもは、どこにでも住まいを設けます。時には人の心の中にも……。」
 炉錬都雄博士は怪しげな含み笑いを浮かべながら、
「今は、こんな仕事をしています。」と言って一枚の名刺を出した。そこには、
  
魔界研究所所長 炉錬都雄

と書いてあった。
「ほほう、魔界研究所とは、また変わったことを研究されているのですね。」
「はははは、皆さんは魔界などというと、そんな物はないとお思いでしょうが、魔界はあなた方のすぐ側に存在するのです。でもそれが見える人はほとんどいない。少なくとも私とあなた以外にはね。」
「私にも、魔界などというものは見えません。」
「いやいや、今あなたの見ているものが、魔界なのです。そして、魔界というのは人の心の中に存在するのですよ。でも、平凡な人々はそれを見ようとしない。つまり自分の心の中をじっくり見ようとしない。だから魔界に気づかないのです。」
「でも、私だって、自分の心の中を見ようなどとはしていませんよ」
「そうですかな。あなたはあの『寒中御見舞』のはがきを見た時、原稿書くの面倒くさいなあ、できれば黙ってそのままにしたい、原稿を出さないですめばこんなに楽なことはない、よし出すのをやめてしまおう、と思いませんでしたか?だから、あのはがきをシュレッダーにかけたのでしょう?でもその時、あなたはそういう自分の心の醜さに気がついた。気がついたという時点で、あなたは己の心の中を見たのです。わかりますかな?」
  私はなんだかよくわからなくなってきた。依然として、「エリーゼのために」の冒頭部分は繰り返されている。
「妻のピアノの腕前はいかがですかな。さあ、中に入ってお聞き下さい。」
 私は炉錬都雄博士に招かれるままに、家の中に入った。すると、玄関のすぐ右手にある居間には小さなグランドピアノが置いてあって、そこで一人の女性がピアノを弾いていた。それが炉錬都雄博士の妻であった。以前にだまされたときは、油揚げを煮込んでいた女性だ。わたしはフラフラッと近づいた。すると炉錬都雄博士の妻は、にっこりと笑みを浮かべながら、
「ねえ、わたしってきれい?」と小さな小さな声で聞くのだ。
 私が返事に窮していると、
「ねえ、わたしってきれい?」」と今度は少し大きな声で聞くのだ。
「ねえ、わたしってきれい?ねえ、きれいかってきいているのよ。こたえてよー」
 女の声はだんだん大きく太くなってくる。私は不気味になって、後ずさりをした。いつの間にか、炉錬都雄博士の姿は消えている。
「ねえ。わたしってきれいかってきいているのよ。どうしてこたえてくれないの?」
「…………」
「もういちどきくわよ。わたしってきれい?」女の声は大きく張り裂けんばかりになった。そして突然、
「わたしってきれい?」と言うやいなや、女は立ちあがった。口は耳まで裂けて、目は真っ赤にらんらんと輝いている。私は、
「ギャーーーーーーっ」と叫んで居間から逃げ出した。玄関から出ようとしたが、そこにはいつの間にか、さっきのおかっぱ頭の女の子が頭から湯気をたてて立ちふさがっていた。仕方なく私は、居間とは反対側の部屋に飛び込み、ちょうど開いていたクローゼットの中に飛び込んだ。するとそこには深いトンネルがあり、私はひたすらそのトンネルを走りに走った。後ろからは、
「わたしってきれい?」という野太い声と、
「ぼーっとしてんじゃないわよー」という金切り声が追いかけてくる。
 一生懸命に走るのだが、なぜか足が重たい。走っても走っても、先に進まないという感覚なのだ。このままだとあの二人の化け物に捕まってしまう。どうしよう……。
 すると、はるか向こうに、かすかな明かりが見える。なんとかあそこまで逃げなくては、と私は必死に走った。
どこからともなく、笛の音が聞こえてきた。ドビュッシーのシリンクスだ。その冒頭部分が繰り返し繰り返し聞こえてくる。後ろからは、相変わらず、野太い声と金切り声が追いかけてくる。シリンクスのメロディーがそれを覆うかのように鳴り響いている。私は、それらの音の氾濫する中を、ひたすら走り続けている。いつ果てるともわからぬ、永遠に続くかのようなマラソンを、私はただ、ひたすら、ひたすら、……。

 ふと気づくと、私はシュレッダーの脇に倒れていた。
「どうしたんだ?私はいったい…………?」
「そうだ、私はあの不思議なはがきをシュレッダーにかけて、その後、急に眠くなって……。でもそれで眠ってしまったのか?まさか、そんな馬鹿なことが……。いや、たしかに私は眠っていた。だって、実際に私はここに倒れていたではないか。それにしてもいったい……どうして……。」
 納得できないままに、私はフラフラと起き上がった。そして何となく、パソコンのスイッチを入れた。
 するとなんと、立ちあがったパソコンの画面に、長々と文章が表示されているではないか!! 
「いつの間に、一体だれがこんな文を書いたんだ?」と思って読んでみると、今さっき私が夢の中でーそう眠っていたのだからきっと夢であったろうがーその夢の中で見たことがそのまま書かれているではないか!!!

 これを石原マジックと言わずになんと言おうか。石原先生は、「右原」などというおかしな名前を使って文字化けしたはがきを私に送り、それだけではなく、いつの間にか私のパソコンに「笛吹きたち」に載せる原稿まで用意してくれたのだ。
  魔界、まかい、まっいいか、なんてしゃれを言っている場合ではない。平成最後の年に起きた、これは幻夢である。
 皆さんのお宅にも、ある日突然、摩訶不思議なはがきが届くかもしれない。そうしたら、ぜひシュレッダーにかけて欲しい。きっとその後にあなたは幻夢を見ることだろう。そう、あなたの心の中の魔界を。                                                (完)

 


以下は元原稿の縦書き


uploaded 2019.4.19


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