閑話休題

閑話休題 その15


変奏曲(やぶにらみ音楽談義)   石原 利矩

変奏曲
 音楽の様式に変奏曲というものがある。1つの主題を元に様々な要素を加味して形を変える。そして、主題といくつかの変奏をまとめ全体として楽曲にするのである。
 変奏曲はバロック時代から音楽史に登場する。
 シャコンヌ、パッサカリアなど一定の低音旋律に上声部が変奏するものがある。
 コレルリ、バッハ、パッヘルベル、マラン・マレーなどバロック時代の名曲が沢山ある。
 ハイドン、モーツァルト、べートーヴェン、シューベルトなど大作曲たちは殆ど変奏曲を残している。
 なぜ、変奏曲が書かれ、もてはやされた(る)のだろうか?
 これは音楽をするものが人間だからである。
 仮にc'の音をドー、ドー、ドー、ドー、と歌ってみよう。たった1度や2度のことなら何でもないがドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドー、ドーと続くと途中で飽きてしまう。他の音に移りたくなる。
 人間、すなわち飽きっぽい生き物なのだ。本能とも言える。一定の刺激が長時間続くと刺激は慢性化する。初めに受けた刺激はもはや刺激ではなくなる。1杯目のビールはおいしいが2杯目、3杯目になると最初のおいしさは薄れてしまうことと同じなのだ。この「飽きること」が次の刺激を求めるのである。飽きることがクリエイティヴの原動力なのだ。正に変奏曲はあの手この手で刺激を変え興味を持続させることを意図する楽曲なのである。名曲とされる変奏曲は聴くものを飽きさせない。

 酔っ払いは別にして、話をしていて同じことを繰り返す人がいる。強調のテクニックであろう。しかし、それをもう一度繰り返すと「くどい」と感じられる。会話していて相手が「え?」と聞き直した場合同じことをもう一度言うのが普通である。しかし、2度目に「え?」と言われたら3度目に同じ言い方をする人は少ない。何かしら付け加えたり、他の言い回しを用いる場合が多い。
 バロック時代の作品でエコーが現れるものが沢山ある。この場合2度目は音量を落とすことが原則だ。これは単調さを回避するための1つの救助策なのだ。逆に意識的に同じ音型を何度も繰り返すことによって強調するテクニックもあるが数は少ない。同じ音型が2度続くと人は次に同じことを3度は期待しない。他の種類の刺激があることによって救われる。3度目は「くどい」、4度目は「うんざり」と感じるからである。上手な作曲家はこの辺をわきまえている。パターンを2度聞いて先が読めるようなものは失敗、さらに同じことを繰り返したら失格「うんざり」である。
「え?」「また?」「くどい!」「うんざり!!」
変奏曲を作曲しようと思う者は座右の銘にして欲しい。